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名古屋地方裁判所 昭和47年(行ウ)21号 判決

原告 島田三郎

被告 熱田税務署長

訴訟代理人 山田厳 外二名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

(原告)

「原告の昭和四三年ないし同四五年分各所得税について、被告が昭和四六年九月九日付でなした更正処分をいずれも取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決。

(被告)

主文同旨の判決。

第二当事者の主張

(請求の原因)

一  原告は、昭和四三年ないし同四五年分の各所得税について、いずれも法定申告期限内に別表(課税処分表)「確定申告額」欄記載のとおり確定申告をした。

二  被告は昭和四六年九月九日、別表「更正額」欄記載のとおり各更正処分(以下、本件各処分という。)をした。

三  原告は、同年一〇月一八日被告に対し、本件各処分について異議申立をしたが、被告は、同年一二月二二日棄却したので、さらに昭和四七年一月一四日、名古屋国税不服審判所長に審査請求したところ、同所長は同年六月一九日棄却する裁決をした。

四  本件各処分は、禁反言の法理に照らして許されないものであり、違法である。

すなわち、原告は、訴外大生商事株式会社のため保証債務の履行として昭和四三年中五六九、〇〇〇円、同四四年中六〇一、〇〇〇円および同四五年中六九六、〇〇〇円をそれぞれ出捐しているところ、昭和四四年二月上旬および昭和四五年二月下旬に、いずれも熱田税務署所得税担当課に赴き、係官に対し保証債務の履行により出捐した金額の税法上の取扱いについて指導を仰いだところ、右金額は所得税の計算上所得金額から控除することのできる雑損に当るとの口頭による指示を受けたので、そのとおり原告は本件各年分の右出捐額を雑損控除して本件各確定申告をなしたのに対し、被告は、昭和四六年九月に至り、突如右指示に反して前記金額は、雑損に当らないとして本件各処分をなしたものである。従つて、かかる更正処分は納税者としての原告の被告に対する信頼を裏切るものであり、一旦なした被告の行為に反する主張をするものであつて右処分は、禁反言の法理に照らして許されない。

(請求原因に対する認否および被告の主張)

一  請求原因一ないし三は、すべて認める。

二  同四のうち、原告が訴外大生商事株式会社のため保証債務の履行としてその主張どおりの金額をそれぞれ出捐したことは認める。

他人のため、保証債務の履行により出捐した金額が所得税法七二条に規定する雑損に当らないことは明らかであるから、被告が右金額について雑損控除に当らないとしてなした本件各処分は適法である。

また、本件各処分は次に述べるとおり禁反言の法理に反するものでない。

およそ禁反言の法理は、専ら当事者が任意に処分または放棄しうる権利もしくは利益に関する行為のみについて適用されるものであり、また、その適用対象とされる表示は具体的事実であるを要し、単なる意見もしくは意向の表示はこれに当らないし、さらに、禁反言の法理の適用を認めるとかえつて違法な結果を生ずるような場合にはその適用は否定される。

ところで、租税債務は、税務官庁と納税者が任意に処分または放棄しうる性質のものでないし、原告の主張する指導は、主観的、抽象的事実を前提とした単なる意見もしくは意向の表示にすぎないので、禁反言の法理を適用する余地はない。特に、課税処分においては租税負担の公平が強く要請されているものであつて、仮りに本件各処分が禁反言の法理の適用により取消されれば、原告は不当に課税を免れるという違法な結果となり、そもそも禁反言の法理が正義の観念から生ずるものであることに照らしてもその適用の許されないことは明らかである。

よつて、本件各処分は適法である。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因一ないし三の事実および原告がその主張どおりの金額について、訴外大生商事株式会社の保証人として同社の借入金を弁済していたことは当事者間に争いない。

二  ところで、保証債務の履行として出捐した金額が所得税の計算上所得金額から控除することのできる雑損に当らないことは所得税法七二条の規定上明らかであるから、これを雑損控除してなした原告の本件各確定申告についてなされた被告の本件各処分は首肯できるものである。しかし、原告は、本件各処分は禁反言の法理に照らして許されない旨主張するので、この点について判断する。

三  原告本人尋問の結果および弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告は昭和四三年分所得税の確定申告にあたり、右保証債務の履行として出捐した金額が、所得税の計算上所得金額から控除することのできる雑損に当るかどうか疑問に思われたので、昭和四四年二月熱田税務署所得税課に赴き、係官に対して右の点につき質問したところ、雑損に当るとの口頭の指示があつたので、その趣旨に従つて昭和四三年分の本件所得税確定申告をなし、右申告は受付けられたこと、翌年分所得税の確定申告に際しては、昭和四五年二月ごろ熱田税務署の税務相談に赴き、前年の取扱いが正しいかどうか担当者に質したところ、正しいとのことであつたので、当年分についても前年と同趣旨の本件確定申告をなし受付けられたこと、昭和四五年分所得税については、格別相談もうけないで前二年と同様に確定申告をなしたが、受付係官から右取扱いには疑問がある旨指摘されたこと等の各事実を認めることができる。

四  してみると、原告は、昭和四三年ないし同四五年分各所得税確定申告にあたり熱田税務署の係官の誤つた口頭による助言指導を信頼して、本件各申告をなしたということができる。

ところで、一般的に私法上の禁反言の法理が国と国民の間の租税法律関係について適用があるかどうか問題が多いところであるが複雑化した租税法規が難解なものとなつている現状で、しかも申告納税を建前とする制度上、国民は申告にあたり税務官庁の助言指導に俟つことが多いことは容易に想像できることであるが、かかる助言指導を善意で信頼して行為した国民の利益はこれを保護すべき特別の事情がある場合にはその適用を拒否すべきでなく、また、かかる事情の有無は具体的事案に則し、租税法律主義、租税負担の公平の諸原則との較量のうえで決すべきである。

五  これを、本件についてみるになるほど、本件各処分がなされたことにより原告は本件指示による期待が裏切られることになることは否定できないが、税法上格別不利益をうけるわけでもないし、現実に何らかの損害を蒙つたわけでもない(弁論の全趣旨によれば被告は本件における異議決定により各年分過少申告加算税の賦課処分を取消していること明らかである)。また本件各処分を取消すことにより原告のみ不当に課税を免れることになり違法の結果を許すこととなる。従つて、かかる場合に禁反言の法理を適用することは相当でない。その他全証拠によるも原告を保護すべき特別の事情を認めることができない。

六  以上のとおりであるから被告のなした別表記載の本件各処分はすべて適法である。

よつて、原告の本訴請求は、理由がないので失当としていずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山田義光 下方元子 樋口直)

別表一ないし三〈省略〉

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